2025/07/01
2025年6月21~22日、ニュルブルクリンク24時間レース(ニュル24時間)がドイツのニュルブルクリンクサーキットで開催された。
トヨタイムズスポーツでは、モリゾウ選手こと豊田章男会長がドライバーとして6年ぶりに参戦する「TOYOTA GAZOO ROOKIE Racing(TG-RR)」の挑戦を軸に豪華ゲストを交え24時間生中継を実施。ここでは、GRヤリスという純トヨタ初のスポーツカーを鍛え上げ、ワンチームで24時間を戦い抜いた“ニュル活動”の模様をダイジェストで紹介する。
ニュルブルクリンク24時間レースは、ドイツ西部アイフェル地方に位置するニュルブルクリンクサーキットで行われる耐久レース。
サーキットは5.1kmのグランプリコースと、20.8kmの北コース(ノルドシュライフェ)からなる一周約25kmという途方もないもの。170を超えるコーナーと、約300mの高低差があるため過酷さを極め、「緑の地獄(グリーン・ヘル)」との異名を持ち、新車開発の聖地としても知られている。
これまでにトヨタイムズスポーツでは「S耐の活動がニュルに通じている」をキーワードに耐久レースの模様を中継。今回も5月のS耐富士24時間レースと同様、豪華ゲスト迎え現地から生放送を行なった。
ニュル24時間生中継① モリゾウが原点の地、ニュルに帰ってくる!
https://www.youtube.com/watch?v=ft-UBcqHlpc
ニュル24時間生中継② レースの行方は!?
https://www.youtube.com/watch?v=jjWFfmxo5CQ&t=126s
ニュル24時間生中継③ TG-RRゴールの瞬間をお届け!
https://www.youtube.com/watch?v=_EwsMb6iZAM&t=4s
トヨタイムズ S耐富士24h&ニュル24h特設サイト
豊田章男会長が“ニュル活動”と呼ぶニュルブルクリンクとの縁は、トヨタのマスタードライバーであった故・成瀬弘氏と出会った2002年に始まる。
「運転のことも分からない人に、クルマのことをああだこうだと言われたくない」と、初対面の成瀬氏から辛辣な言葉を投げかけられた。
豊田章男会長(当時、副社長)はこの一言がきっかけで成瀬氏に弟子入りを志願する。
運転訓練に使ったのは、すでに生産が終わっていた中古の80スープラ。ニュルでの訓練では、欧州メーカーの開発車両に抜き去られ「トヨタさんにはこんなクルマつくれないでしょ?」と言われたような悔しい気分を味わったと豊田章男会長は当時を振り返る。
潮目が変わったのは2007年。厳しい訓練が5年続いたころ、成瀬氏はニュル24時間への参戦を提案。このとき豊田章男会長はいちドライバーとしてニュルに参戦するため、レースの現場では「モリゾウ」と名乗り始める。
成瀬氏とモリゾウが中心になり、トヨタの社員のみで結成された「Team GAZOO」は、中古のアルテッツァ2台でニュル24時間を完走。
「予想通り。何一つ間違っていません」と成瀬氏は締めくくった。
その後2008年には開発中のLF-Aで参戦。LFA3年目となる2010年には初のクラス優勝を獲得。
特設スタジオからニュル24時間生中継を盛り上げてくれた脇阪寿一氏(右から2番目)の姿も
しかし、成瀬氏はその一月後に、ニュルの一般道でのテスト走行中の事故で急逝。モリゾウ選手は成瀬氏の遺志を引き継ぎ、トヨタのマスタードライバーに就任した。
そして2012年にはLFAとTOYOTA86プロトタイプで2つのクラスで優勝。2013年には開発実験車両のLFA CodeXも参戦し、3クラスを制するという快挙を成し遂げた。
こうしたニュルブルクリンクでの活動は、「もっといいクルマづくり」の原点であり市販車にもフィードバックされるようになる。
ルーフにはH.NARUSEの名が記されている
2019年にはモリゾウの悲願であったGRスープラで成瀬氏の命日に完走を果たしたものの、2020年以降はコロナ禍の影響もあり、この年を最後にトヨタはニュル24時間を去る。
スバルやBMWと共同で開発した86やスープラで結果を出したモリゾウの次の目標は、純トヨタ製の量産スポーツカーで勝つこと。
そこで、「もっといいクルマづくり」の現場を国内のスーパー耐久に移して「GRヤリス」を鍛えた。そして、6年ぶりとなる今年、成瀬氏の運転したアルテッツアと同じカーナンバー109を掲げニュルに戻ってきた。
53回目を数える2025年のニュル24時間には、21のクラスに合計141台の車両が参戦、トヨタは、「TOYOTA GAZOO Racing(TGR)」と「ROOKIE Racing(ルーキーレーシング)」がワンチームとなった「TOYOTA GAZOO ROOKIE Racing(TG-RR)」として参戦した。
トヨタイムズスポーツが中継でとくに注目するのは、モリゾウ選手が乗る109号車のGRヤリス。ドライバーはモリゾウ選手のほか、豊田大輔選手、石浦宏明選手、大嶋和也選手という、スーパー耐久でもっといいクルマづくりに携わってきたメンバーとなる。
モリゾウ選手とともにジェントルマンドライバーとして参戦する豊田大輔選手はレース前、ニュル参戦の意義について「モータースポーツを起点とした“もっといいクルマづくり”をする時、100%のポテンシャルを発揮するのがプロの仕事。それを自分のようなドライバーがどこまで発揮できるかは(クルマづくりの)一つの指標になると思う」と説明する。
また、ニュルブルクリンクサーキットに関しては、「自分の知らない世界に踏みこみ新たな発見ができるという意味で、未知と出会える場所かもしれません」と説明してくれた。
豊田大輔選手への事前インタビューはコチラ
TG-RRのGRヤリスは、カーナンバー109号車と382号車の2台。382号車はジェントルマンドライバーの先導やスペアカーとして活躍するが、ボディ補強が109号車は職人による溶接に対し、382号車にはロボットによる溶接となり、ニュル24時間でしか得られない貴重なデータをより多くのバリエーションで収集する。
S耐を始めとする国内のレースで鍛え上げてきたGRヤリスのパワートレインは基本的に市販車と同じものを搭載。最小排気量のターボ車のカテゴリである「SP2T」クラスに参戦するが、技術面でのチャレンジとして注目したいのは、次世代変速機の「DAT(Direct Automatic Transmission)」だ。
トヨタが「MTより速いAT」として開発中のDATは、レースという過酷な環境で走り抜く高い走行性能と、気軽にスポーツ走行を楽しむという2つの目標を掲げたシステムで、プロとアマチュアの差を縮めるポテンシャルを持つ。
テスト走行したモリゾウ選手は「こんな面白いオートマは初めて」「このクルマはゲームチェンジャー」と評価。ニュルでさらに鍛えられることで市販車にフィードバックされ、クルマを運転することの楽しさを気づかせてくれるきっかけにもなるアイテムだと期待されている。
国内のテストを全て無事終わらせたチーフメカニックの南剛史は、「やっとスタートに立てるのかなというところ。ニュルでは昨年も走っていますけど、また一味違ったクルマになっていると思います」とコメント。
また、石浦選手は「チームになれることがクルマづくりには大事で、バラバラな人でつくるクルマと、ワンチームでつくったクルマとでは、お客さんの笑顔につながるという部分でぜんぜん違う。(中略)。クルマに乗ってもらった時に『すごい』と思わせることが我々のゴールだと思う」と、ニュル参加の意義を語ってくれた。その模様はコチラ
チームをまとめるGMには、古くからニュル活動に参戦してきた関谷利之が就任。エンジニアのリーダーにはニュル未経験の久富圭を抜擢するなど、ベテランと若手で構成されるドライバー・エンジニア・メカニックが三位一体となったワンチームでニュルに挑戦する。
そんななか、本戦の二日前の予選で328号車は、ジャンプセクションの着地の際に燃料ポンプの部品が外れてるアクシデントに見舞われる。
いままで積み重ねてきたことを確かめに来たニュルで遭遇する、まさにここでしか起こり得ないトラブル。しかし、TG-RRの全員で課題を共有し決勝までに109号車を含め改善を行うというポジティブな経験を積むことができた。
そしてニュル24時間がスタートする6月21日の朝、チームスタッフを前にモリゾウは「2025年、我々の挑戦が始まります」と前置きしてから異例ともいえる長いスピーチを行なった。
一言一句を漏らさないようにするためか、メモ帳を手に2007年のニュル初挑戦から18年が経つこと、モリゾウは豊田章男の存在を隠すための名前であったこと、ニュル活動はF-1の“裏番組”でTOYOTAのブランド名が使えなかったことなど、これまでのニュル活動を総括した。
そんなモリゾウ選手の宿に今朝届けられた現地の新聞には、GRヤリスの写真とともに、「TOYOTAがニュルに帰ってきた」との見出しで、ニュルブルクリンクがトヨタにとっての第二の故郷と評した記事が掲載されていたという。
そしてモリゾウ選手は「次の20年のスタートとなる大事な2025年になると思います」と宣言。
「完走という、みんなでやった一つの成果物を獲りに行きたい。(中略)主役はここにいる全員と、ここに来られなかったけれどサポートしてくれた全員です。その全員のために今日は戦いたいと思います」と締めくくった。
朝礼でのモリゾウ選手のスピーチはコチラ
そしていよいよニュル24時間の本戦がスタート。現地時間15時40分からフォーメーションラップが開始され、GRヤリス109号車は大嶋和也選手の運転で24時間の挑戦を開始した。
しかし、現地時間の17時30分頃に停電が発生し、2時間以上赤旗中断。その後19時50分までには再開された。
モリゾウ選手の出番がやってきたのはレース再開直後。大嶋選手と交代し今井キャスターに「行ってくるよ」というような目線でガッツポーズを送り、夕焼けに染まりはじめたニュルへコースインしていった。
ファーストドライバーの責務を果たしたばかりの大嶋選手は生放送スタジオに登場。「GT3クラスのスピードとではだいぶ違うので結構怖かった」としながらも、クルマの状態は良好で「スタートドライバーをやると一周目には皆が手を振ってくれるので楽しかった」と感想を話してくれた。
走り終えてすぐ、特設スタジオに来てくれた大嶋和也選手の模様はコチラ
一周ごとに暗くなってくるニュル。モリゾウ選手のオンボード映像からも刻々と夕闇が迫っていることが判別できるほどだ。
モリゾウ選手の初回ドライブの予定は3周だったものの、ピットインせず4周目に入ったため放送席がザワつくことに。
じつはこのときモリゾウ選手は、ピットのチーフエンジニアの久富に無線でもう2周“おかわり”を要請。さらに5周目に「ワガママいってすみませんが、もう一周行かせてください」と要請された久富は、7周分のガソリンが入っていたためこれを了承した。
この様子を生放送のゲストとしてスタジオ出演していた中嶋一貴氏は「楽しく乗れているということですね」と元F-1ドライバーならではの目線で解説。
結局モリゾウは1スティントで6周を走行。ピットインし豊田大輔選手とドライバーチェンジした直後に緊急で生放送のスタジオに登場し、「ちょっと走ってみたかったの」と“おかわり”について釈明した。
そしてかしこまった様子で「この番組をご覧のみなさま、GRヤリスは本当にいいクルマです」と笑いをさそった。
また、視聴者からの「最後の周はコースサイドをかなりワイドに使っている」というコメントを紹介すると「すごいね!見られてますねぇ」と照れ笑い。
S耐参戦の際に石浦選手から「カーブを抜ける時に道の幅を全部使いきってない」とアドバイスされていたモリゾウ。今回のニュルでは石浦選手より「最初の12周で赤白の縁石に乗ってもいいよと教えてもらっていたので、安心していった」と、キレのある走りの理由を説明した。
そんなモリゾウ緊急生出演の様子はコチラ
モリゾウ選手の2回目の出番は一夜明けた午前10時ごろ。4回目の周回中に無線のトラブルが起きピットイン。109号車のウインドウにはタイヤカスやオイルによる汚れが目立ち、フロントダクトは手作りの部品をテープで補修した形跡がありニュルのコースの激しさを物語る。
実はこのピットストップが唯一109号車が走行を止めた時間だったことが後に判明。そして給油をしたことも功を奏し、モリゾウはさらに5周しこのスティントで9周を稼ぐことに成功する。
その後ゲスト出演した小林可夢偉氏は、モリゾウ選手の走りについて「石浦から聞いたんですが、グランプリコース内ではかなり速いそうで真剣に走らないと追われてしまうそうです。(二度目は)9周も走ったわけですが、無線がオーバーヒートするほどコクピットが暑いにもかかわらず、笑顔で降りてくるのは走るのに余裕が出てきたんじゃないかなと思いました」と分析していた。
小林可夢偉さん登場シーンはコチラ
そしてなんとモリゾウ選手は、レース終了3時間前にもスタジオにゲスト出演。「遠くから応援ありがとうございました」と生放送の視聴者にお礼をし以下のように語った。
「20年前にこうなるとは誰も想像できなかったよね。モリゾウがまだ乗っていることも、モリゾウが自分のチームを作るとも思わなかった。(中略)だから、今後20年続けていけばどんな世界が来るか。だからまずは継続したいと思います」
そしてレースを振り返り「ヨーロッパのファンがGRのクルマに憧れを持ってくれるような可能性を感じた」とも話すモリゾウ選手。
「かつてはジャーマンスリーしか勝てなかったこのニュルも、去年はフェラーリが勝って、今年はけっこう多国籍ですよね。だから、いつかはここにメイド バイ トヨタのクルマのTG-RRで来たいなとは思っているんです」と、純トヨタのクルマでニュル24時間の総合優勝を狙う意思があることを示した。
ニュル24時間を振り返るモリゾウ選手はコチラ
そして耐久レースはフィナーレを迎え、総合優勝を果たしたのは、98号車「ROWE Racing」のBMW M4 GT3 Evo。
911号車のポルシェ911 GT3 Rは最後猛烈にプッシュしトップのままチェッカーフラグを受けたものの、課せられていたペナルティタイムを覆すことはできず2位となった。
モリゾウは109号車(豊田大輔選手)と382号(石浦選手)の2台のGRヤリスが無事コントロールラインを通過したのを見届けると「成瀬さんはなんて言っているかな」と言葉を漏らした。
こうして我らが「TOYOTA GAZOO ROOKIE Racing(TG-RR)」の車両はいずれも無事に完走した。
109号車GRヤリスは115周回でクラス優勝(総合54位)、110号車GRスープラは126周回でクラス4位。また、160号車のTOYOTIRES のGRスープラも84周回でクラス6位(総合92位)という成績を残した。
また、近藤真彦監督率いるREALIZE KONDO RACINGのフェラーリは一時首位を走るものの、115周回でクラッシュしリタイア、悔しい結果となった。
成瀬さんの写真を胸に選手を出迎えた関谷GMは「僕や南にやってくれたことを、少し恩返しできたかな。まだ足りないとは思うけど」とレースを総括。
ニュルという大舞台でモリゾウ選手が“もっと乗りたい”というクルマを作り上げた久富は「ルーキーレーシングやトヨタ自動車の技術部、整備、いろんな人の力があって完成したクルマだと思っている。良い夢が見られそうです」と厳しくも充実した24時間を振り返った。
エンジニアのリーダーを務めた久富圭
チームメイトについて聞かれ「3人の息子がよくやってくれました」と大きく笑うモリゾウ選手。
「総合優勝を狙いに行く」という壮大な計画も飛び出した今年のニュル24時間は、トヨタの「もっといいクルマづくり」の未来への期待を持たずにはいられない体験を多くのスタッフやファンに残してくれた。
そして、トヨタの挑戦はこれからも続いていく。
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